ウラジオストクに行ってきた3

9月17日

9:00 鷲ノ巣展望台

ホテルの裏手にある小高い丘には市内を一望できる展望台がある。昨日連れてきてもらったエリアだ。ウラジオストクは市場開放されるまで軍事都市だったので観光インフラが遅れている。展望台への道は全く整備されていなく車もすれ違えないような悪路をバスは進む。頂上には古ぼけた廃墟があり駐車場で降ろされる。廃墟は移転した極東工科大学の跡で一角に展望台があった。標高192mの眺めは市内を一望でき格別だ。

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ウラジオストクのシンボルとなっている金角湾をまたぐ巨大な黄金橋は美しい。展望台の手すりに沢山の南京錠がついている。永遠の愛を誓うカップルが後を絶たないらしい。

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9:50 C56潜水艦博物館

金角湾をまたぐ黄金橋を走る。車窓から見える橋下には軍港都市にふさわしく造船工場が並んでいる。港からは韓国旗を掲げた軍艦がマーチングバンドの演奏に見送られながら出港している。

ロシア国旗が掲げられた太平洋艦隊司令部の巨大な白いビルの横には第二次世界大戦で使用された潜水艦C56が展示されている。艦を見守るように囲んで建つ碑には犠牲になった軍人の名前が刻まれている。全長70mの艦内は狭いの一言だ。30人の乗組員のうち休むことのできる場所は10人分。三交代で休憩しながら2年間かけて地球を1周した。潜望鏡など機材はそのままで、就寝場所のベットの横にはむき出しの魚雷が置いてある。生活環境の過酷さが感じられる。写真展示もしてあり、日本を敵視した表現に息苦しさを感じて外に出る。

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司令部の目前にある港では、黄金橋を渡る時に見た韓国軍艦出港セレモニーが続いている。「釜山港に帰れ」が演奏されていた。

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10:20 ニコライ2世凱旋門

ロシア最後の皇帝ニコライ2世が1891年皇太子時代に日本からウラジオストクに帰国してシベリア鉄道定礎式に参加したのを記念して作られた凱旋門が港を見下ろす丘に建てられていた。

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皇太子が日本滞在中に巡査に切りつけられ日本に対して憎悪を持つきっかけになった大津事件の直後の凱旋門。その後の日露戦争へ結びついて行く。日本とロシアの歴史を感じられる遺跡だ。

10:30 グム百貨店(工事中)

港から歩くこと10分。中央広場近くに立つデパートに立ち寄る。歴史あるグム百貨店は残念ながら工事中で中に入れなかった。隣の商業ビルに入る。エスカレーターを中心に5~6店舗のテナントが入る。ロイズチョコレートの直営店があった。

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11:00 スフェラ マーケット

市の中心部にはマンションばかりで一軒家がほとんど無い。住宅地には小規模のスーパーが多くスフェラマーケットもレジが3か所程度の小規模スーパーだ。清潔な店内には入場ゲートが設けられ、どこのスーパーでも警備員が監視している。安い韓国製の製品が多いが高価な日本製の食品も多い。

11:30 南の展望台

ウラジオストクの南に浮かぶルースキー島を一望できる展望台に来た。アレクに聞いても名前がはっきりしなく南の展望台ということしか分からないようだ。眼下には東ボスポラス海峡が広がり心地よい風が通り抜ける。広場ではロシア人グループがヨガを楽しんでいる。赤と白のテープが張られていて、その外で見学していると警備員らしきロシア人が近づいてきた。どうやら崖崩れでテープの外は危険らしい。よく見ると足元が傾いて、今にも崩れそうだ。

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ウラジオストクには銅像や胸像が至る所にある。ここにも海を見つめる胸像がありアレクに尋ねる。

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(・ω・)「あの人は誰ですか?」

アレク( ̄U ̄)「ロシア人デス」イラッとしながら

(#^ω^)イラッ「ロシア人の誰の像ですかっ!?」

アレク( ̄U ̄♯)「女のロシア人デス」

 

強い口調で「名前を聞いているんだっ!」と言うと

( ̄U ̄)「アンナさん」

何をした人か教えてもらえなかった。帰ってから調べると世界で初めて世界一周をした女性提督らしい。

 

12:00 ポルトフランコ(ロシア料理)

再び中央広場に戻ってきた。ウラジオストク観光はこの広場を中心として、ごく狭いエリアをぐるぐる回っているに過ぎない。市民市場で賑わっている広場の向いあるビルの地下に大航海時代をテーマにしたレストランがあった。入り口には汚い掃除夫の不気味な人形が置いてあり、レンガ調のフロアに並ぶ4人掛けの席に着く。

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「ザナース!!」ロシア風乾杯の後、キノコスープやビーフストロガノフは美味しく楽しめた。ロシアビールとウォッカもすすむ。韓国人団体が騒がしかったが美味しかったと評判だった。

今夜の予定を聞くと少しルーブルが必要のようだ。両替所に行くことになり歩いて移動する。5分で前日の両替所についた。1万円=6330P。昨日よりレートが少し良くなっていた。

 

15:00 極東連邦大学

安倍首相とプーチン大統領ウラジオストクで会談した時に会場になったルースキー島にある極東連邦大学へ行く。ロシア国内でも極秘裏に会談が行われ、宿泊ホテルはアレクも知らないと言う。三日月状にビーチを囲む広大な敷地の中央に講堂があり、そこれ会談が行われらしい。

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16:00 要塞博物館

中央広場の近くの海に突き出した丘の上に日露戦争の頃に使用した要塞がある。現在は改造・整備され、様々な兵器を展示している。回転式砲台や展示されている兵器のほとんどが日本を向いて置かれていることを思うと複雑な心になる。

資料館には第二次世界大戦時のソ連軍の進軍の様子やヤルタ会談の説明。写真と地図を用いてソ連軍の正当性を主張しているのが、言葉がわからなくても理解できる。戦争遺跡は見る立ち位置によって様々な感情を喚起させる。言葉少なに資料館を後にする。

歩いていると自動販売機を見つけた。治安がいい証拠である。

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18:00 ドゥヴァ グルジーナ(グルジア料理)

残念ながら醤油でも歯が立たない。ブドウの葉で豚のひき肉を包んだロールキャベツの様な物や、ナスを茹で、カニみその様なソースを塗った物。赤い酸味のあるスープ等、何とか喉に流し込んだ。

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ホテル近くのコンビニに寄り、カップラーメンを大量に買い込んだ。ニシの部屋でラーメンをすする。

20:00 サウナ

( ¨:¨ )「いやぁ今回の旅行も疲れたね。旅の疲れを癒さなければね。どうだい?最後にマッサージに行こうか。」←棒読み

抑揚のない口調でニシが、調べろて来いと言わんばかりに寝転がる。

ロシアは開かれたといっても社会主義だ。取り締まりも厳しい。

アレクに相談する。

( ̄U ̄)「・・・乗ッテクダサイ」

何かアレクも緊張している。

車はコの字型に囲まれた飾り気のないビルに滑り込む。看板はおろか、街灯もない。2階のフィットネスクラブらしき部屋から灯りが漏れる。建物の隅に鉄格子で囲まれた扉があった。アレクがロシア語で何かを伝える。ガチャンガチャンと鍵を開け監視カメラの下、奥へ促される。

いったい何から守って、何を監視しているのだろう。背後でガチャンと扉が閉まり鍵をかける音が響いた。

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中に入り薄暗い通路を進むとビリヤード台おかれ、6人掛けのテーブルの他、簡易ソファーが置かれている広間に出た。隣の部屋には6人が入れば窮屈な広さのサウナがあり、立ったまま入る水風呂や、シャワーが併設されている。反対側には4畳ほどの部屋が二つ並びベットが置いてある。

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ニシはスペシャルな時間を過ごすことができたらしい。何がスペシャルなのかはニシしかわからない。ホテルに戻りニシの部屋で最後の反省会が行われた。過ぎる時間を惜しみつつ、深夜まで旅を振り返っていた。

 

つづく